チャレンジドと私(ごあいさつと経営理念)

ごあいさつ


代表取締役 小島 純子

 エヌ・エフ・ジェイ株式会社は、大阪・東京で障害を持ちながら頑張る人々の就労支援・自立支援を平成6年より現在まで行っております。
 平成6年当時は、自立支援法はなく、そのため「チャレンジドに就労を。」と当事者に呼びかけさせて頂いてもなかなか大変なもので幾多の障害・困難を乗り越えて参りました。
 その甲斐もありまして、自立支援法が出来る12年前よりチャレンジドの就労支援に関わることが出来、様々なカリキュラムとシステムを編み出すことが出来ました。
 これも私共をご支援頂いた多くの関係者の方々があればこそであったと思いこの場を借りて深く御礼申し上げるとともに、今後もより一層、誠意努めて参ります。






 私が知的障害・精神障害を持つ人々の就労支援及び、自立支援をしようと思いましたのは、私自身が未熟児として生まれ、物心付く頃(生後3ヶ月頃)から 急に吐いて吐き続ける病気(病名 周期性嘔吐症)になり、月の半分は吐いて吐いて空吐きして、それを不定期に繰り返すという生活を幼少から22歳まで続けました。
 幼少の頃は1ヶ月の半分以上は、この病気のため、学校を休まざるをえませんでした。
 下に、弟・妹がいましたが正月やゴールデンウィークとか家族と一緒に外出したくても、病気でいつも1人寂しく留守番をしていました。「なぜ、こんな病気に私だけかかってるの?辛い。」といつも自問自答して精神的にも参っていたのを今でも記憶しています。

 高校3年の頃、医学が発達して、検査をして初めて胃が小さな胃と普通の胃と二つあり、このことが原因で吐いて吐き続けて来たのだと私なりに納得出来ました。治療はというと手術することであるということで手術をして一般の健常者の人になったのでした。
 このような経験から、仕事は福祉の道に携わることがしたいと思い、短大卒業後、養護教諭になり、多くの障害を持って悩んでいる子たちと関わる機会に恵まれました。
 私自身が障害を持って生まれたので、彼等彼女、当事者の気持ち、家族の気持ちが痛いほど理解でき、また養護教諭の職歴を通して、一般社会の人々の気持ちも理解出来る中で、一般社会の民間企業・健常者の人々と障害を持った人々との接点を見出しながら、一般社会と福祉社会の相互理解を深める架け橋の役割を果たしたい。より良い福祉の向上になればとの思いで今日まで活動しております。



 現在では、チャレンジド(障害者)・不幸にして職を失った人・ニートの人に対して就労意欲の向上と働く意義を伝えること、そして就労の支援活動をしております。
 18年の活動を通して得た経験を生かし、社会環境のバリアフリーを目指し、企業に対しては、



  • 法定雇用率の達成のためのサポート

  • チャレンジド(知的障害・精神障害・発達障害を持ちながら頑張る人々)の就労意欲の向上と育成・就労支援

  • 企業に勤めたチャレンジドに対する就労継続におけるメンタルサポート





を行っております。




経営理念



  1. エヌ・エフ・ジェイ株式会社は、企業と福祉の架け橋となるべく、両者の意見をよくヒアリングし、必要とする人材の育成・支援を遂行します。


  2. エヌ・エフ・ジェイ株式会社は、私共に関わるすべての人に「働くことの大切さ」と「感謝のこころ」を培って頂けるためのシステム・企業環境づくりを目指します。


  3. エヌ・エフ・ジェイ株式会社は、広く人材を求め、育成し、人間能力の可能性に挑戦し、暖かいこころ・優しいこころ・今足りない道徳の意義を持つ社会人を養成します。


  4. エヌ・エフ・ジェイ株式会社は、社会の変化に対応した知識と育成プランの開発力を高め、地域社会の信頼と世の中のお役に立てる企業作りを目指します。


  5. エヌ・エフ・ジェイ株式会社は、企業と企業のCSR(企業の社会責任)の実現を「地域社会の福祉の充実」という捉え方でともに学び・成長するパートナーシップを築きます。


  6. エヌ・エフ・ジェイ株式会社は、「障害を持ちながら頑張る人・不幸にして職を失った人・ニートの人」を「神から『不自由』という試練を与えられ、努力する権利を与えられた人たち」すなわちチャレンジドと捉え、障害を持つ人=チャレンジドという枠を超え、地域福祉の充実に寄与できることを目指します。